映画感想「ソウルフル・ワールド」

2020年12月にディズニープラスで配信されたピクサー制作のCGアニメーション映画。
「マンダロリアン」を観るためにディズニープラスに加入したついでに視聴。いわゆる夢追い人が夢を叶えるというタイプの物語であり、自分の好みでもあるのだが、そのある種お決まりの流れと視点だけに終始しないところがこの作品のすごいところだと感じた。

主人公のジョー・ガードナーは、学校で音楽を教えている非常勤教師。やる気のない生徒を相手に苦慮しているが、本人もプロのジャズ・ピアニストになることが本命の夢であり、学校から正式雇用の話を聞いてもあまり喜べない。あるとき、プロミュージシャンのバンドでドラマーをしているかつての教え子が、メンバーが足らないからとジョーに声をかけてきた。プロへの面通しも上場で、さっそく今夜のステージで一緒にやろうと誘われる。まさに我が世の春と喜び浮かれていたのだが、直後に彼はマンホールに落ちてしまい昏睡状態に……。

プロを前にして、一心不乱にピアノを引くジョー。
美しい音色と幻想的な光は、まさに「ゾーン」に入った状態。

気がつくと彼はソウル(魂)だけの状態となり、天界に向かうエスカレーターに立っていた。死んでなるものかと逃げ出した先にあったのは天界とは別の「生まれる前の世界」。果たしてジョーは生き返り、ステージに立つことで夢を叶えることができるのか……というのが物語の大筋。

ジョーが迷い込んだ「生まれる前の世界」には、現世にまだいったことのない生まれたばかりの「ニュー・ソウル」たちがたくさん存在していた。ニュー・ソウルはその世界にあるセミナーに通い、そこで性格を与えられ、さらに既に人生を終えたソウルたちが「メンター」となって、そのニュー・ソウル(魂)だけの「きらめき」を見つけさせ、現世に旅立たせるというシステムが構築されているのだ。
この、面白いがやや複雑な設定を、いとも簡単に絵と動きで説明しているところにまず驚いた。性格やきらめきといったものはニュー・ソウルの持つバッジにアイコン表示され、バッジの空欄がすべて埋まると現世へ行けるパスポートに変化する。パスポートは地球のマークになっており、ニュー・ソウルが現世に旅立つ描写は、宇宙から地球へダイブするという、非常にわかりやすくイメージしやすい。
このユニークな仕組みは、既存の宗教に乗せずに表現されている。この世界を運営するジェリーやテリーといった存在は、「宇宙のあらゆる場を量子化し、ひとつにした存在」とのこと。彼らは3DのCGアニメーションにおいてまるで一筆書きのような線だけで構成され、次元を超えた存在ということが伝わってくる。非常にSF的なあの世の世界となっている。
ソウルの世界はピンクや水色の淡い色使いの世界で、そこで流れる音楽もメディテーションというかヒーリングミュージックっぽい。青いエクトプラズムみたいなソウルたちの姿もかわいらしく、ものに潰されても大丈夫だったりと、物理法則が当てはまらないという描写が随所に見られる。

さて、そのソウルの世界に迷い込んだジョーは、管理者に見つかると天界エスカレーターに連れ戻されてしまうため、ちょうどやってきたメンターの集団に、別人として紛れ込む。ちょうどメンターたちは新しいソウルと引き合わされるところだった。そこでジョーに割り当てられたのは、この物語のもうひとりのメインどころとなる「22番」である。
この22番は、今までマザー・テレサ、エイブラハム・リンカーンといった、誰もが知る偉人たちがメンターになっても「きらめき」を見つけさせることができず、何百年も「生まれる前」のままでい続けているという管理者も手を焼くソウル。「あたしはずっとここにいたいんだ。生まれたくなんかない」と、メンターを言葉でやりこめイラつかせて楽しむという不良少女(実際性別はないのだけど)みたいなやつである。
ジョーは正体を明かし、自分の生きる意味ともいえる音楽の素晴らしさを22番に説くのだが、「ジャズねえ……ちょっと重すぎて好きじゃない」って感じで全然響かない。この図式は、ジョーの音楽教師シーンとまったく変わっていないところがまたクスリとさせる。

きらめきを見つけられないQoo……じゃなくて22番に手を焼くジョー。
彼らの動きひとつひとつがユーモアに溢れている。流石。

ともあれ、22番はジョーに興味を持ち、行動をともにする。ここからこの二人のドタバタが始まっていくのだが、実はこの映画はジョーがプロのジャズ・ピアニストになる夢を叶えるために奔走する物語でありながら、「音楽の素晴らしさ」や「夢を叶えることの素晴らしさ」を説くだけの物語にはなっていない。
ジョーは幼い頃、ミュージシャンだった父にジャズ・バーに連れて行かれたことがきっかけで音楽にのめり込む。それから中年と呼ばれる年齢になるまで、ひたすらプロになることを夢見て努力してきた。何一つ成功らしい成功はなかったかもしれないが、そんな年になるまで人生をかけて打ち込めるものを見つけているわけである。「俺はピアノを引くために生まれてきた」と言うくらい、いうならば彼にとってのきらめき=生きる意味はピアノであり、その日の夜のステージで自分の本当の人生が始まるのだと思っている。だからなんとしても戻りたい。
このジョーの強い思い込みは共感できるものだし、生きる意味にまで押し上げる「好き」の気持ちが栄光を掴む鍵となるというのは、おそらく夢や目標を持つ人間は肯定したいはずであると思う。しかし、この映画が示す回答はちょっと違い、それを全面的に後押しするものではない。
なぜかというと、22番の存在があるからである。実はひねくれものであるこいつが、この物語をありがちな夢追い物語以上のものに押し上げているのだ。明確な夢ややりたいこと、人生の目的、生きる意味を見出せずに「持たざる者」として苦しむ22番の姿は、その物語だけの姿以上のものに映ってみえる。
そしてその救済も実に素晴らしく、自分はもちろん、ジョーも22番もしていた「きらめき」に対する思い違いをそっと正すような内容であり、なかなか目から鱗が落ちるような気分にさせてくれる。

夢や目標を持った人だけでなく、そうでない人をも包み込む人生賛歌的な作品。そのメッセージ性は子供より大人に直撃しそうではあるが、CGアニメーションは見ているだけで面白いし、特にソウルが使い慣れない体に宿ったときの「うまく動かせない」表現など本当に見事である。
上述のあの世のセミナーのシステムはもちろん、喜びと強迫観念の関係など世界観もユニーク。実はこの世界には生きたままでも到達することができるのだが、そのアイデアが実に素晴らしく納得してしまったと同時に、物語のいいところで活躍してくれる。ここが個人的に一番気に入った部分。
100分のお話で、これだけのことを仕掛けてくるのかと思うと、本当にピクサー恐るべしである。

画像:© 2020 Pixar

ディズニー・プラス
https://disneyplus.disney.co.jp/