映画感想「ワイルドバンチ」

1969年の西部劇。サム・ペキンパー監督作品。ウィリアム・ホールデン主演。
20世紀初頭に実在したワイルドバンチ強盗団をモデルにした物語で、主人公パイク・ビショップとその仲間たちを描く。ペキンパーといえば凄まじいバイオレンス描写で知られる名監督。自分は「わらの犬」は見たことがあったけどこっちは未見だったのだが、「わらの犬」同様、監督の代表作の一つに数えられるだけあってやはりとんでもなかった。

直接的な暴力表現はもちろんだけど、まず凄いと思ったのは冒頭の演出だ。馬に乗った数人の男たちが街を訪れる。彼らは騎兵隊に扮したワイルドバンチたちである。男たちはそのまま、道の真ん中で地面に向かって笑いながら遊ぶ子どもたちの横を通り過ぎていく。
彼らが通り過ぎたあと、子どもたちが何をしていたのかわかる。なんと、蟻にたかられ逃げようとするサソリを、棒でつついて蟻の群れの中に押し戻して遊んでいたのだ。これがもうすごいというか、とてつもなく不吉な上にこの映画の暴力的な面を表しているのである(そして、あの「逃れられない様子」は主人公たちの暗示にも取れるし、映画の結末を予見している)。子どもをこんなふうに使うなんて!

さて、ワイルドバンチたちの狙いは大量の銀貨を保管しているという鉄道事務局。だが、この事務局の向かいの建物には、ライフルを手にした男たちがひそんでいる。面構えは一人をのぞき全員悪辣野卑。ワイルドバンチが事務局に入ったのを見届け、色めき立つ。彼らがワイルドバンチを襲おうとしているのは一目瞭然だが、建物に挟まれた通りを禁酒運動の団体が行進を始めてしまう。
こうして緊張感マックスになったところから、容赦なく市民を巻き込んだ大銃撃戦が始まるのである。これが、鳴り止まない銃声と悲鳴、切り替わり続けるカット、撃たれ、踊るように倒れ飛ぶ人、人、人……といきなりクライマックスかよってくらいの凄惨さ。ワンカットが短すぎて、文字通り息つく暇もないし、誰が誰なのかもわからない。こんなのを開始10分ほどでガツンとかましてくるのである。

辛くも逃げおおせたワイルドバンチだが、生き残ったのはたったの5人。基本的にはこの5人を主軸に、映画が始まっていく。全員が悪党なのだが、みんなそれぞれ個性的である。リーダーのパイク、その片腕のダッチ、ライルとテクターのコーチ兄弟、そしてメキシコ人のエンジェル。
ワイルドバンチと呼ばれているものの、5人は全員が無法者であり、実質、統率の取れた組織ではない。作戦立てや指示出しを行うパイクは、何かと「俺の言うことが聞けないのか」とリーダーぶるが、彼より一回りは年下のライルとテクターは彼を軽んじている節がある。年上のオッサンより兄弟の絆の方が大事だというのが何となくわかる。そして、二人よりさらに年下の若者エンジェルは、聞き分けはあるものの血気盛んで危うげだ。
パイクがそうやって偉ぶるのには理由がある。というか、これは年齢を重ねると誰しも少しは考える「俺の人生ってなんだったんだ」的な悩みだ。体にガタがきて、自分より若い人間からナメられ、能力的にも立場的にも自分が若者ではないと悟ったとき、それまで人生で積み上げてきたものの少なさに気づく。パイクの場合、時折差し込まれる回想は、自身のヘマで親友を敵に回したり体に不自由の残る傷を追ったりと散々である。時代も近代化の波に呑まれ、この先無法者が生きられる余白なんてありそうもない。
なんとか一発当てて、この生活から脱却したい。そうした焦燥感の中で生きているのがパイクなのだ。
そして、そんな彼のそばにいるのがダッチである。自分はこのキャラクターが一番好きだ、というか演じるアーネスト・ボーグナインの顔が好きなのだが。ボーグナインというと、「北国の帝王」(伝説の列車タダ乗り野郎vs無賃乗車は殺す鬼車掌の映画)での車掌役が印象に残っている。この映画ではパイクと年齢も近く、彼が抱えているものを理解した上で気さくに振る舞い、行動をともにする。信頼の置ける女房役である。

「ワイルドバンチ」よりダッチ。この眉、このもみあげ、この顔力。
唯一の癒やしキャラである。

このあと、ワイルドバンチは追っ手から逃れながら、メキシコへと下る。道中の男臭いやりとり(冗談で一触触発のケンカになるが、下ネタで大笑いして仲直り)なんかは昨今の映画であまり見られなくなったような気がする。カッコよさも、スタイリッシュさという点では皆無だが、そのときそのときの感情を顕にするさまは生き生きとして小気味よい。そして、基本的にはドライな悪漢である彼らが、全員心から一つになる瞬間がある。この抑え込まれた何かが爆発する瞬間が、画、話ともにヒロイックでとても美しく、格好いいのだ。

「ワイルドバンチ」より、左からコーチ兄弟、パイク、ダッチ。この横並びの画はしびれる。

過激なバイオレンス描写、そして男の生き様と友情を泥臭く描いた、サム・ペキンパーらしい男臭い作品。
また、多くのシーンで景色の雄大さが伝わってくるのも見所。この辺りは、限られたカットだけでそれを表現しようと苦心したマカロニ・ウエスタンにはできない、アメリカ西部劇の強みだと感じた。

画像:© 1969 Warner Bros. Pictures