映画感想「グレムリン」

1984年アメリカ制作のSFファンタジー・ブラックコメディ映画。監督ジョー・ダンテ、脚本クリス・コロンバス、製作総指揮は巨匠スティーヴン・スピルバーグ。今年最後は一応(?)クリスマス映画でもあるこいつに決定。

あらすじ

物語は主人公の父・ランドの語りで始まる。チャイナタウンで息子ビリーへのクリスマスプレゼントを探していたランドは、案内された怪しげな骨董品店で小さな檻にいた「モグワイ」を買い取った。そのときに3つの約束「光を当ててはいけない」「絶対に濡らさない」「真夜中過ぎに食べ物を与えない」を必ず守るよう言い渡される。ビリーの家で「ギズモ」と名付けられたモグワイは一家に愛されるのだが、あるときビリーの友人の不注意で水がかかってしまい、ギズモの背中から玉が飛び出し新たなモグワイが生まれてしまう。大人しく愛嬌あるギズモとは違い、度を超えた悪戯をするモグワイたちだが、これは騒動の始まりに過ぎなかった……というのが序盤。

感想

もはや古典レベルであり説明不要の有名作。映画を観たことがなくてもキャラクターは知っている、という人は多いのではないかと思われる。自分も何度か観たことがあるものの微妙に内容を忘れていたのだが、いい年になった大人の自分が今観てもギズモはやはりかわいかった。人間の赤ちゃんに近しい体パーツのバランス、クリクリとした大きな目にふさふさの毛と大きな耳など、人間が見て可愛いと思う要素をうまく詰め込んでいる。そして見た目以上にかわいいのがその仕草。CGなんか当然使ってないのでぬいぐるみが動いているようなぎこちなさなのだが、というか実際ぬいぐるみを動かしているのだが、それがリアルな生き物とは違うにも関わらず「生きている」と感じさせ、琴線に触れるわけである。ギズモの性格というよりはモグワイという種族の特性なのか、彼らは歌が大好きでギズモもよく歌う。これがまたいいのだ。ギズモは「マブシイ」「コワイ」など多少言葉を話すのだが、そういった言葉でなくても歌を歌っているだけでこいつは今気分がいいんだなというのがわかるわけである。

キーボードの音に合わせて歌うギズモ。この後そばにあるクリスマス帽子をかぶせられる。
あざとさ抜群だが、人類には抗えないかわいさがここにある。

このギズモを「かわいい、愛でたい」と思わせた時点で勝ちなのだが、本作はそこに作り手の悪意をかけ合わせている。というかこちらが製作者側がやりたかったことのようにしか思えない。ビリーの父親の、やたらと液体が周囲に飛び散る汚い発明品や「犬をよこせ。保健所に連れてく」とビリーをマジ脅迫する絵に描いたような悪役ディーグル夫人などの過剰なブラックジョーク、映画「エイリアン」を彷彿とさせる、悪いモグワイたちが凶暴体(作中で「グレムリン」と呼ばれる)に変容していく際の繭形態など、本作の面白さはこうした悪ふざけギャグやパロディで本領発揮されるのだ。
モグワイたちは好奇心旺盛で何かと人間の真似をしたがるのだが、それを逆手に取って度を超えた悪戯や、パロディを繰り出してくる。これはずるいし、悔しいが面白い。特に「ドリーのパブ」でのシーンはもう最高の一言に尽きる(ただの迷惑客じゃねーか!)。かと思えば、そうした笑いがどぎつい表現をマイルドにしている部分もあるのだ。変容したモグワイ=グレムリンたちはまるで邪悪な子供のように振る舞い、トラクターで民家に突っ込む、拳銃やクロスボウを躊躇なく人間に向けてぶっ放すなど、結構シャレにならないことをしでかす。また彼らを退治する方法もなかなか強烈なのだが、前述の笑いの成分が入っているおかげで本作は完全なホラーやスプラッターにならずに済んでいるという絶妙なバランスなのだ(とはいえ、公開同時は子を持つ親から「不謹慎!」という声がかなり上がったそう)。やりたい放題に見えて、計算されているのである。多分……。

ギズモから分裂し、変容したグレムリンたちのリーダー、ストライプ。
悪ふざけのラインを超えた凶器で襲いかかってくる。笑えるけど。

まとめ

というわけで、ギズモのかわいさを免罪符に悪趣味ギャグを観客に投げつけるという、大人の悪ふざけ作品。かわいいギズモが活躍する内容だと思って子供に見せたら結構グロテスクでトラウマになりそうなシーンもあるなど確かに不謹慎なのだが、特撮もリアルで手抜きゼロ、モグワイの動きも本当に生きているようで、「悪ふざけだが本気」という、そこがまた素晴らしいのだ。とりあえずギズモがかわいいことと、お母さんの強さを再確認。個人的にはギズモがちょいちょい喋ってくれる吹替版をおすすめ。

画像:© 1984 Warner Bros., Inc.

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