映画感想「LOOP/ループ -時に囚われた男-」

2016年、ハンガリー制作のSF映画。監督イシュティ・マダラース、主演ディーネシュ・サーラズ。タイトルを見てわかる通り、タイムループものとなっている。原題「Hurok」。Amazon Prime Videoで視聴。

地下鉄でホームレスの老人につきまとわれた主人公のアダムは、仕方なくパンを恵んであげる羽目に。彼から見えるところに腰掛け戦利品を貪るホームレス。しかしアダムは気もそぞろであった。彼は自分の父親が働く病院に保管されているアンプルを横流しするという、組織的悪事に手を染めている。しかも末端構成員として。そんな生活に嫌気が指し、アンプルを持ち逃げし恋人のアンナとどこかで暮らす計画を立てていたのだが、いざ実行手前で彼女の妊娠が発覚。産む産まないで口論になりアンナは出ていってしまう。
アダムは自分だけでも逃げ出そうと決意し、別れの言葉をビデオに残そうとするのだが、逃亡用のチケットをアンナが持ち去ったことに気づく。怒って外に飛び出したアダムはすぐに建物の角で彼女を発見。ところが喧嘩別れしたはずのアンナは「よかった生きてたのね!」と安堵し、彼に抱きついてくる。そして手にしたビデオテープを彼に渡し、「ここに証拠が残ってる。これを警察を持っていけば、デジューを倒せる」と迫る。デジューは病院の警備員であり、アンプル密売を取り仕切る親玉の男。わけのわからないアダムだったが、次の瞬間アンナは車にはねられ、そのまま死んでしまう。面倒事に巻き込まれたくなかった彼はその場から逃走、その後病院で父親から車を借りてアパートに戻り、彼女が持っていたテープを再生する。

アンナがはねられた事故現場でビデオテープを回収するアダム。
何が映っているのか結構ワクワクする、時間SFものと相性の良いガジェットだと思うのだが。

そのテープには、テープを見ている数秒前の自分の様子が映っていた。今この瞬間、録画などはされていない。さらにテープを早送りするとデジューが部屋に乗り込んできて、おびえる自分を銃で撃ち殺す様子が収められていたのだ。直後、ドアをノックする音がする。恐る恐るドアを開けると、車にはねられ死んだはずのアンナの姿が。そして、彼女に銃をつきつけるデジューが怒りの表情で立っていた……。

一般にループものというと、同じ時間を繰り返す際に主人公や特定人物の意識だけが繰り返しを理解しており、次に起こることを把握できるというものを思い浮かべると思うが、本作はちょっと変わっている。時間SFものだと意識した上で視聴すれば、冒頭で喧嘩別れしたアンナとその後ですぐに再会し車にはねられるアンナ、そしてデジューに捕まりアダムの死を目撃するアンナは、おそらく別人であろうことは容易に推測できる。そしてそれは主人公アダムも同様で、彼が自分のアパートからアンナの事故現場、病院、そしてまたアパートに戻ってビデオを再生するまで、本人は気づかないがどうも近くに別の自分がいるらしい描写がある。つまり、同じ時間軸の中にタイムトラベルしたかのごとく、同一人物が複数存在しているのだ。
展開が進むにつれ同一人物の数は増えていき、それまで違和感のあったセリフやカメラワーク、そして行動の理由が、後半になるにつれ明らかになっていく。観る側は情報の更新とともに、その時間に他の同一人物は何をしているかなどを考えなくてはならなくなる。これは時間軸がリセットされ、それまでの経験を持ちながら同じ1日が始まるのとはまた別の楽しさだ。画面に映っているシーンだけでなく、それまで見てきた場所や物事が起こった時間を俯瞰的に捉えるというちょっと異なる頭の使い方をする必要があり、その体験がなかなか面白い。

本来巡り合わない時間に出会うアダムとアンナ。
こうしている間も、同時間帯の別の場所に同一人物が存在している、という情報の整理が必要。

主人公は立派な医師を父に持ちながら悪事に加担し、我が身可愛さに恋人すら見捨てようとする小悪党。それでも根は善人なのか、ループの中で恋人の死や彼女のお腹のエコー写真、そして何より、自分自身を目の当たりにするうちに考えが変わってくる。身に降りかかる脅威どころか人としての義務や責任からも逃げ隠れし、愛する人から離れようとする過去の姿を傍から見るという心変わりのさせ方は、この映画の仕掛けとよくマッチしているように思う。

ただ、序盤で登場した「未来の様子が収められた」ビデオテープが、実際にはそれほど物語に絡んでこなかったのはちょっと残念。最近ついぞ見なくなったレトロガジェットなのでいかにもな特別感があったのだが、劇中では説明がなく自然とあるもののように描かれている。また、携帯電話もほとんど登場しない。これは作品世界の時代をあえてよくわからないように作ってあるのではないかと思う。
また、同一時間軸にキャラクターが加算されていくギミックの印象で埋もれてしまっていたが、実際はループものとして成り立っているように見えつつ、ところどころ設定的に破綻しているようにも見受けられる。劇中で起こること自体は興味深いのだが、それぞれの事象を組み合わせていくと噛み合わず腑に落ちにくい。これらの部分と結末に関しては、他の人がどう考察しているのか気になるところ。

というわけで、ハンガリー産タイムループSFという、なかなか珍しい作品。時間SFとして粗さが残るのは否めないが、それでも物語として緊張感は保っていると思う。個人的には悪役のデジューがあるシーンで見せた仕草からの銃撃が、 (元ネタがありそうなものの)「デジュー撃ち」と名付けたい くらい印象的で良かった。

画像:© 2016 Café Film

Amazon Prime Video
https://www.amazon.co.jp/dp/B07K71M3BD