映画感想「アルゼンチン1985 ~歴史を変えた裁判~」

2022年のアルゼンチンの歴史ドラマ映画。サンティアゴ・ミトレ監督、制作、脚本。1984年、アルゼンチン新政府下のもと、軍事独裁政権時代に行われた残虐な行いに対する裁判の戦い(「ジャンタスの試練」とか「フンタスの裁判」とか名前がついている)が描かれる。Amazonオリジナル映像作品。

ストーリー

1984年の秋、アルゼンチン。「変人」として知られる弁護士フリオ・ストラセラは、法務大臣からのある打診を受け入れざるを得ない状況に立たされる。それは前軍事独裁政権の首謀者たちに対する裁判での、主任検事の任命だった。前政権(=軍)は反政府ゲリラを鎮圧するため強制的に数え切れない無実の人々を拉致、拷問、殺害してきた。現在は臨時政府であるものの、未だ軍は力を持っておりいつ政府転覆するかわからない。そうなったら本人はおろか家族にも危害が及ぶかもしれない。つまり誰もやりたがらない仕事だったわけである。追い込まれた彼だが、軍人一族の出の弁護士モレノ・オカンポや、経験はないが法務関係の仕事に就く若者たち、そして家族の支えを受けながら、困難な仕事に挑む……というのが導入。

不安定な政情の中、多くの同僚は保身や既得権益、政治思想のためにフリオに協力しない。
仕方なくフリオはモレノ・オカンポ、そして経験の少ない若者たちを戦いと挑む。

感想

なかなか面白かった。英語版Wikipediaなどと流れを見比べると事実関係に若干違いがあり(副検事との出会いなど)、あくまで実際に起こった出来事を脚色された作品と思われる。「軍事独裁政権下に行われた軍による自国民への虐殺行為」という非常に重苦しい内容なのだが、全体の演出はどこか淡々としており、コミカルさもうかがわせる。
映画を見てまず、人間の描き方が上手というか、型にはまらないながらも魅力的だと思った。主役となるフリオは、最初は居留守などを使ってとにかく任命から逃げ回っている。いい年をしたおじさんが仕事から逃げる様子は情けないというか滑稽で面白い。単に臆病というわけでなく頑固でへこたれない強さもあるのだが、最初に行動する前に誰かの後押しが必要というなんとも面倒な性格。実際のフリオ氏がどうだったのかはわからないが、妙な人間味があって良い。
彼の奥さんのシルビアも肝が据わっている。家に脅迫電話がかかってきた際フリオが子どもたちを怖がらせないよう「しばらく電話は私と君で出よう」と緊張しながら言うと、彼女は呆れ顔で「また脅迫? 今日何度もかかってきたわ。暇な男ね」と応えるほど。それでいて夫を気遣うところもある。フリオは最初、事務所でも自宅でもクラシック音楽をかけて周りの音を遮断することが多いのだが、それは大抵自分が追い詰められているときで、どちらかというと逃げの行動として描かれている。彼が主任検事に無理やり指名され窮地に立たされているとき、クラシックをかけて話を聞こうとしない彼に奥さんは怒鳴るでもなく、かかっていた音楽を止めずにその音量を絞り、優しく諭すように語りかけるのである。以降、彼を象徴するように使われていたクラシックを聞くシーンはほぼ見られなくなる。
副検事ルイス・モレノ・オカンポの家族関係も複雑で、ホームパーティで一族から敵扱いされるシーンなどもあり、軍と国民という構図の中でも、色々なしがらみが描かれる。ほかの脇役も自然なキャラ付けがされており、それが過不足ないくらいの嫌味にならないちょうど良さでよかった。
また、フリオが検事になるのを引き受けないのには、単に面倒事だからとか報復が怖いとかというだけでないのも、ただ一人の英雄が活躍するような単純ではない深みがある。ここは映画の中で触れられこそするものの詳細に描かれないが、弁護士としてベテランである彼は軍事独裁政権下でも司法に携わっており、そこで軍の虐殺行為に対しても、そして犠牲者に対して何も出来なかったという負い目がある。軍事政権を裁くことは、ある意味で過去の(無力な)自分を見つめ直すということでもある。決して主人公だけの話ではなく、時代だから仕方なかったという過去の行いすべてに共通するテーマでもあり、そうしたことをサラリと、押し付けがましくなく描いていると思った。
軍がやった残虐なシーンなどは証言のみなので、ショッキングな映像もない。ただ、彼らが法廷でそれを語る語り口や、それを聞いた人々の反応や全体のシーンが、行われたことの惨たらしさを物語る。このあたりも非常に巧い。クライマックスである主任検事としての論告シーンは、わかっていてもグッときてしまった。

証言者(手前)の話に神妙な顔で耳を傾ける、フリオ(右)とモレノ・オカンポ(左)。
こういった配置は実際の映像を元にきちんと制作されている。

まとめ

というわけで、辛い内容を扱っていながら、全体としてはクレバーな目線の作品。決して主人公や周りの人々だけでなく、多くの人々が国をよくしていこうという鉄の意志で戦う良ドラマ。史実であるのでこの裁判の後のことを調べるとなんとも言えない感情になるが、少なくとも、裁判で戦った人々への敬意が感じられる作品。

画像:© 2022 CRUACHAN SRL/KENYA FILMS SRL/AMAZON CONTENT SERVICES LLC

Amazon Prime Video
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0B8TP6C7G/

ジャンタスの試練 Wikipedia(英語版)※実際の裁判の映像があります
https://en.wikipedia.org/wiki/Trial_of_the_Juntas