映画感想「エターナルズ」

2021年、アメリカ製作のスーパーヒーロー映画。クロエ・ジャオ監督作品、ジェンマ・チャン、リチャード・マッデン、アンジェリーナ・ジョリー、マ・ドンソクなどが出演。いわゆるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)作品。ディズニープラスに加入したついでに視聴。

映画の始まりは、まさかの黒バックに白文字テロップ。宇宙を創造した第一天界人(プライム・セレスティアル)アリシェムが、深宇宙より現れた捕食種ディヴィアンツに対抗するために、老化しない不死の宇宙種族エターナルズを派遣したとのこと。続いて太陽のそばを横切り、地球へ向かう三角型の宇宙船が映る。アリシェムと交信できるリーダー、エイジャックの一声で、大地に降り立つための準備を始めるエターナルズたち。彼ら10人が降り立ったのは、紀元前5000年のメソポタミアだった。ちょうど浜辺で暮らす人間の集落を獰猛なディヴィアンツが襲撃し始めるのだが、そこをエターナルズたちが助けに入り、宇宙エネルギーの能力を使ってあれよあれよとディヴィアンツたちを撃退する。

ディヴィアンツを撃退し、集落の人たちの前に姿を現したエターナルズ。
宇宙エネルギーをエッセンスとする不死の種族だ。

そして時代は移り変わり現代。その間もエターナルズはディヴィアンツとの戦いを繰り広げており、およそ500年前にやっとすべてを殲滅したらしく、以降は世界に散らばり人間の生活に溶け込んでいた。エターナルズの一人であるセルシは、ロンドンでもう一人の仲間スプライトと暮らしていたが、2人の元へかつて全滅させたはずのディヴィアンツが出現し襲いかかってきた……というのが序盤の流れ。

まず特徴的なのは、エターナルズという戦士が10人もいるということだろう。同じMCU作品の「アベンジャーズ」だって、最初の試みとしてだがそれぞれのヒーローたち単体の作品でバックボーンを丁寧に描いてから集結させたのに、いきなり新顔10人、しかもヒーローコスチュームはだいたい同じ、能力の使い方こそ違えど宇宙エネルギーというエッセンスは同じ。正直最初は「こんなにいなくてもよくない?」と思ったのだが、本作はこの10人をちゃんと動かしており、そこが見所の一つだと思う。
統一されたコスチュームとは裏腹に、エターナルズたちの外見上の人種や特徴は様々で、性格や嗜好も異なる。同性愛者や聴覚障害者(実際に聴覚障害を持つ役者が演じている)もおり、大所帯でありながらちゃんと誰が誰か見分けられるようになるのだ。悠久の時を生きる彼らはさぞかし達観しているのかと思いきや、人間に愛着を持ちうまく社会に溶け込む者や適度な距離を保つ者、人間が行ってきた戦争や殺戮に嫌気がさし心を閉ざす者など、個人個人で感じ取るものが違い、人間に対して思うところも異なる。各人のそうした考え方やそれによる行動で、最初は「わっかんねー」だった同じ格好をしている彼らの「違い」が徐々に浮かび上がってくるという構造になっている。
これだけの数のキャラクターをうまく特徴づけ、さらに端役や見せ場がない人物がいないようにうまく動かしているという点はすごいと思った。最初はわけのわからなかった各人の能力も、終盤に近づくにつれ理解が行き届き、さらに個性的になっていく。それぞれが異なるベクトルの力でありながらその中でアイデアを凝らし、攻撃に防御にサポートにと多種多様な使い方を見せるのも巧い。

各人はそれぞれ異なる能力の使い方を得意とする。
一見サポート向けの能力も、使い方次第で戦闘向きにすることも可能。

ただ、本作にはヒーロー映画において最大といってもいいある醍醐味が存在せず、また物語に潜むある種の「毒」も取り過ぎなくらい排除されていると感じた。例えるならハンバーガーから肉を取り除いたような食べ物に近く、物語としてまとまりつつも物足りない。物語の根幹にある設定とも絡むが、ちょっとお利口過ぎるというか、臭みがなさ過ぎて逆に違和感を生んでいるとも思った。

というわけで、わかりやすいヒーローの英雄譚ではなく、不死という悩みを持つマイノリティの物語といった感じの作品。戦い方の創意工夫や終盤の見せ場は見ごたえがあるのだが、個人的には突き抜けて好きなキャラクターがいなかったのは残念。物足りなさや違和感の正体について、久々にあれこれ考えた作品。

(追記)
こちらで語れなかった部分をネタバレ編として別記事にしました。がっつりネタバレしています。

画像:© 2021 Marvel