映画感想「荒野のストレンジャー」

1973年の西部劇映画。クリント・イーストウッド主演、監督作品で、自身がメガホンを取るようになって2作目の作品。Amazon Prime Videoにて視聴。

あらすじ

陽炎の先から現れる馬に乗った主人公の男(イーストウッド)が、ラーゴという鉱山町にたどり着いた。よそ者を歓迎しない空気の中、町で幅をきかせていたならず者たちが彼に絡んでくる。しかし凄腕の銃さばきで倒してしまう男。善人かと思われた彼だが、突っかかってきた女性を無理やり納屋に連れ込んで襲い、台帳に名前を書くという宿のルールにも従わない。
しかし、そうした振る舞いや(正当防衛とはいえ)殺人を行った男に対して、町の保安官は彼を咎めないどころか「町に雇われてくれないか」と言ってくる。実は以前町が捕まえたステイシーとカーリン兄弟という3人組の無法者の報復に備え、用心棒として雇っていたのが先のならず者たちだったのだ。男はその申し出を断るも、「奴らが来るまで、何でもいうことをきくから」という条件を聞き、ならず者に代わって用心棒を引き受けることになる……という流れ。

感想

本作はアメリカで制作された「本場の」西部劇だが、世界観はマカロニ・ウエスタンというよりセルジオ・レオーネの影響が強くうかがえる。台帳に名前を書かない(=名前を語らない)ガンマンというと、まさにイーストウッドが演じたレオーネの作品「ドル箱三部作」の主人公そのものだろう。
とはいえ主人公の服装はかなり地味目。レオーネの「名無し」のようなヒーロー感はないが、ミステリアスであると同時に現実味がある。また、(「ダーティ・ハリー」で有名な)ドン・シーゲルの影響も感じられ、レオーネのニヒルな名無し以上に他人を突き放すドライな感じが出ており、双方の要素も感じられつつどちらとも違うバランスの人物になっている。イーストウッドはこの二人を「映画作りの師」として敬愛しているそう。

ラーゴの町にやってきた、主人公となる流れ者の男。
顔つきの風格は流石で、暗めの服装にもリアリティがある。

ストーリーは「影のある主人公が、用心棒として雇われる」というベーシックな流れを押さえながらも、実際はそこからかなり斜め上へと転がっていく。詳細までは語らないが、冒頭の振る舞いでもわかるように決して善人ではない主人公が、「何でもいうことをきく」という町から提示された条件で一体何をするのかというのがミソ。
この辺りの変化球感がアメリカ西部劇らしからぬ点でもあるのだが、主人公の「町の人々に対する要求」によって町が抱える問題や、隠された秘密が明らかになる展開、人々が翻弄される様をブラックユーモアたっぷりに見せるなど、アクションではない部分で先が気になるように作られている。ただカッコいいシーンがないかというとそんなことはなく、特に終盤の戦いでステイシーが「お前は誰だ!」という叫びに対する主人公の態度など、緊張感のある印象深いシーンもしっかりある。結末で主人公の存在と役割がなんだったのかがある程度明示されるようになっており、感傷的な余韻を持って終わるのもよい。
他にも、序盤の「主人公が馬に乗って町を闊歩する姿を、町人たちが見つめる」という無言の長尺シーンを終盤でまた繰り返すなど、わかりやすく心を掴む手法なども意図的に取り入れられ、2作目にしてすでに撮り慣れている感がうかがえる。

まとめ

というわけで、名俳優のみならず後に名監督となるイーストウッドの異質の西部劇。自分のようなそれほど知識のない人間でも「ここはレオーネっぽい」「この要素はドン・シーゲルかな」と考えながら楽しめた。それらがわからなくても、ブラックユーモアに満ちた物語として面白いと思う。ちなみにイーストウッドはかなりの早撮りで知られるが、元々それはドン・シーゲル譲りなのだとか。唯我独尊なイメージが強かったのだけど、他者の影響を多分に受けそれを守っているというのが意外だった。

手前に人物の顔、奥に広大な風景と、いかにもレオーネっぽい撮り方。
画作りも師の影響が感じられる。

画像:© 1973 Universal Pictures, Malpaso Company Production

Amazon Prime Video
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00I9GX9OG/