映画感想「スイス・アーミー・マン」

2016年、アメリカ製作の映画。原題も同様で、スイス・アーミー・ナイフ(いわゆる「十得ナイフ」)から取られている。無人島に漂着した男が、十得ナイフのように様々な能力を持つ死体を見つけ、故郷への帰還を目指すという話。主人公である漂流者の青年をポール・ダノ、死体役をダニエル・ラドクリフが演じる。監督、脚本はダニエル・クワンとダニエル・シャイナート。英語版wikipediaによると二人はミュージックビデオ・クリエイターだそうで、映像製作デュオ「ダニエルズ」として活動しているとのこと。Amazon Prime Videoで視聴。

青い空と大海原以外、何もないシーンから映画は始まる。そこを漂ういくつかの小さなゴミ。そこには「助けてくれ」「船で海に出て嵐に遭った」「とても退屈だ」「孤独に死にたくない」という遭難者のメッセージが刻まれていた。メッセージを流した当の本人であるハンクは、小さな島で今まさに首吊り自殺を行う寸前の状態。足場から踏み出そうとしたとき、浜辺に人が打ち上げられているのを見つける。
慌ててかけよると、それは男性の水死体だった。孤独から解放される希望を打ち砕かれがっかりするハンクだが、彼の尻からおなら(腐敗ガス?)が出ておりそれがジェットスキーのような浮力と推進力を持っていることに気づく。彼の背中に乗ったハンクは無人島から脱出し歓喜するのだが、勢い余って死体ジェットスキーが転倒。ハンクが意識を取り戻すと、それまでとは比べ物にならない巨大な島に死体ともども流れ着いていた。無人島からの脱出を喜ぶハンクだが、そこは携帯も圏外で人の気配もない。仕方なく死体を連れ森へ入り、降ってきた雨を凌げる洞窟で一夜を明かす。彼が雨水の濾過に苦心していると、雨露を飲み込んだ死体が濾過した水を吐き出した。驚くハンク。さらに死体は自らを「メニー」と名乗り、彼に語りかけ始めるのだった。

本作を象徴する、死体ジェットスキーで海に出るシーン。
企画自体も先にこの構図が浮かび、そこから物語を膨らませていったとのこと。

本作は、気になりつつも実際観ようとなるまで二の足を踏み続けていた作品。あの「ハリー・ポッター」シリーズで世界的有名人になったダニエル・ラドクリフがハリポタ終了後に挑む別作品として、公開当初は多少話題になったのを覚えている。こんな役をやらなければならないほど自身に染みついたイメージの払拭は大変なのかと思った(実際は既に何作か映画出演していたが大半が日本未公開作品の模様)ものだが、確かに以降のダニエル・ラドクリフは「なんかヘンテコな設定の映画に出る人」のようなイメージもついた気がするので、結果的に成功だったのかもしれない。
しかし本作の「『十得ナイフ死体』を使って無人島から生還する」という冗談のような設定は、やはり観るには覚悟がいるように思う。また普通に「死体を道具のように使う」という点にも抵抗のある人は多く、実際Amazonレビューの低評価コメントにはこの部分についての意見が散見される。

無人島遭難ものというと、個人的には監督ロバート・ゼメキス、トム・ハンクス主演の「キャスト・アウェイ」が真っ先に思い浮かぶ。無人島に漂着した主人公が孤独に耐えながら(あれもバレーボールに顔を描いて話しかけていたなぁ)大自然に負けず生き抜くという「ザ・遭難サバイバルもの」という名作だが、本作はそれに比べると自然の厳しさと格闘するという側面が重要な作品ではなく、もっとずっと内省的な面に寄ったわかりにくい作品といえる。
主人公のハンクは内気な芸術家肌の青年で、冒頭の漂流ゴミもただメッセージを書くだけでなく船の形に加工しその上に船員を乗せたりと無駄にクリエイティビティに溢れている。「何だ、余裕があるじゃないか」と思うかもしれないが、本人は自殺を実行するほど深刻な状態。つまりそうしたことでしか自己表現や気を紛らわせることができない人間ということがうかがえる(この工作が得意な設定はその後も重要な役割を持つ)。
さて、そんなハンクの元に流れ着いたメニーは生前の記憶や感情を失っており、喋ることはできるものの空っぽの状態。ハンクがメニーの記憶を思い出させるために自分の思い出や感情を教え込んでいくと、死体の彼は新たな能力に目覚めていく。そしてそれを伝える自分の説明や、子供のように無邪気なメニーの返しにハンク自身も気づきを得、考えが解きほぐされていくのだ。この過程はメンタルセラピーに見られるインナーチャイルド(自分の中にいる子供の心)との対話のようであり、本作の内容を象徴していると思う。

ずっと背負ってきたメニー(死体)を下ろし、休憩するハンク。
もはやほとんど相棒状態である。

手先の器用なハンクがメニー(=道具)を手に入れ使いこなす様子は、死体を冒涜といった生々しい印象はあまりなく息のあった仲間と行う共同作業のように描かれている。また全編を通して音楽がほとんどコーラスだけというのも特徴で、これがなかなか心地良かった。ハンクもよく鼻歌を歌いBGMも彼の感情とシンクロして使われており、ミュージックビデオ出身の監督らしい作り。差し込まれる映像の美しさはコーラスも相まって神々しく、本作の見所だといえる。

というわけで、ぶっとんだ設定のわりに内容はやたら繊細という奇抜で作家性の強い作品。大人のファンタジーというか寓話的内容なので本格サバイバルを期待するのは間違い。個人的に結末はちょっと冷めるところもあったが、道中の流れはきれいだし、おならやマスターベーションについての会話に寓意を含ませてくるところなどは巧いなあと感心した。そしてダニエル・ラドクリフの濃い顔の死体は妙にハマっていたと思う。

画像:© 2016 Ironworks Productions, LLC

Amazon Prime Video
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