映画感想「サウンド・オブ・メタル ~聞こえるということ~」

2020年配信のアマゾン・オリジナル映画。ダリウス・マーダー監督作品、リズ・アーメット主演。タイトルやヴィジュアルからメタルバンドに関する話かと思いきや、ぜんぜん違う話だった。

主人公は2人組メタルバンドのドラマー、ルーベン。ボーカル&ギターは恋人のルー(ルイーズ)。二人はヴァンで寝泊まりしながら、各地の小さなライブハウスなどを回る生活をしている。決して裕福とはいえないものの、ルーベンは音楽と恋人、そして自由気ままな生活の中に幸せを見出していた。
しかしある日突然、彼の耳が聞こえなくなる。周囲の音はほとんどくぐもって判別ができない。医者に診断してもらった結果、聴力はどんどん悪化していくだろうとのこと。「また聞こえるようになるんですよね?」と尋ねるルーベンに「インプラントを使えばね。聴力が自然に回復するということはありません」と告げる医師。しかもインプラントは難しい上に高額とのこと。

補聴器をつけた状態で医師から聴力について聞かされるルーベン。
スピーカーを通した音声が絶望感を煽る。

耳のことを恋人のルーに隠してルーベンはライブに臨むが、音がほぼ聞こえないため演奏は精彩を欠く。自分の演奏に耐えられなくなった彼は途中でライブを離脱。追いかけてきたルーに真実を打ち明ける。彼女は知り合いに電話し、ろう者(聴覚障害者)の会を紹介してもらう。しかしルーベンがそこで支援を受けるには、寝泊まりもそこですることや、友人家族との連絡など交流を断つことが条件。心の平穏を得て新たな生活を始めるには、それがもっとも効果的だからとのこと。
ようするに、それまでの全てを捨てて新しい生活を始めるということである。冗談じゃないと憤慨するルーベンだが、荒む彼を見かねたルーは彼の元を一旦離れることを決意する。実はルーベンは元薬物中毒者。彼にまた同じ過ちを繰り返させたくないという思いで、彼女は辛い決断をしたのだった。外の世界と恋人に未練を残したまま、ルーベンはろう者の会の施設で生活をすることになるのだが……というお話。

映画の内容も音に拘っており、音による情報を与えずに映画を見せるという部分を意識して作られている。音がなくてもわかりやすく、というわけではなく、音がなくシーンが何を伝えたいのかわかりづらいと感じさせることで、耳の聞こえる人間がいかに聴覚に頼った生活をしているかということを強調しているのだ。
そうやって、どんどんそれまでの生活が送れないということを音のおかしい場面とそうでない場面を明確に使い分けながら見せつけていく。音が聞こえづらいシーンは、周囲の音がルーベンにはこんな風に聞こえていることを表現し、音が普通なシーンにおいては、ルーベンの一挙手一投足にどこか不穏さを感じさせる。その積み重ねで、もう元には決して戻らないのだと認識させられる過程はひたすら悲しい。印象的なシーンは、彼女と口喧嘩するところ。彼は一方的にまくしたてるが、彼女が感情のあまり反論しても「聞こえない! 俺には聞こえないんだよ!」と自棄気味に叫ぶ。もはや言い合いすらできないのである。

感情をぶつけても、相手のそれを受け取ることができない。
非常に切ないシーン。

結局入所することになるルーベンだが、今作ではろう者たちの集団生活も垣間見ることができる。彼らは「耳が聞こえない」というだけで、特に性格や気質などが異なるわけではない。言葉を話さなくても、自分の考えを相手に伝えたいという意味で「おしゃべり」な人間はいるのである。食卓を囲んだシーンでも、彼らは食べながら、各々が手話を使ってコミュニケーションをする。それも自分が手話をしながら相手の手の動き(しかも同時に複数人の)を見ている。ほとんどの人間がそうして食べながら手を動かすものだから非常に賑やかに見えるのだが、入りたてで手話のわからないルーベンには疎外感とともに異様な光景に映る。
また、屋根が壊れかけていたのを親切心から直そうとしていたルーベンに、ろう者のリーダーは「何をしている? ここでは直さなくていいんだ」と注意する。その施設がどういう精神性で運営されているかがわかるシーンである。
その生活に馴染めないルーベンはふてくされ、初めは物に当たるなどする。ここで誰かの一言で目から鱗が落ちて考えを変える……といったことはない。こういうとき、できることというのはただ時間をかけることしかないというのがなんだかとてもリアルである。

ろう者の会での集団生活は映画の大半を占めるが、実は映画はこのままルーベンがそこで生きる意味を見出せるのかどうかという話ではない。そして、その後の展開が本作を「聴覚障害」という枠に収まらない、もっと広いテーマたらしめているように思う。
要は今までの生活を捨てざるを得なくなったとき、あなたはすんなり手放せますか? という問いかけである。それは、映画中にルーベンが元ドラッグ依存症だったという点と絡め、それまでの生活からの依存や執着、未練を断ち切れるのか、というふうに捉えることを促してくることからも明らかだ。これは「メタルに嵌るやつは依存者である」という話ではまったくない(そもそもタイトルが示す「メタル」はまったく別ものだと思うことが、後半でわかるようになっている)。今の仕事、地位、財産、人間関係、住んでいる場所や趣味、所持しているモノなど、我々は気づかないうちに色々なものを手にしている。それらはある意味で個人の一部を形成するものだ。それらによって得られる幸福や安寧を、何らかの事情ですべて失ったとき自分はどうなるだろう、どうするのだろうかということを考えさせられる。これは誰にでも当てはまることのように思う。

映画の終盤は個人的にはなかなか予想外な方向に話が進んでいったが、結末は非常になるほどと思わせる。ルーベンが何を思い、どうしてその行動に至ったのかは自然で受け入れられるものだった。ただ無言で空を見上げるシーンが印象的。ぜひ、ヘッドフォンやイヤホンで視聴して欲しい作品。

画像:© 2020 Sound of Metal,LLC

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