映画感想「暁の用心棒」

1968年のマカロニ・ウエスタン。主演トニー・アンソニー、監督ヴァンス・ルイス。Amazon Prime Videoにあったので視聴。マカロニ作品ではよくあることだが、邦題に「用心棒」とついているものの内容とは関係なく、用心棒は一切出て来ない。

あらすじ

寂れた町に一人のガンマン(よそ者)が流れ着く。町には生気がなく、壁に背を向けうずくまる男が数人。よそ者が触れるとそれらは死体だった。ただ一人の生存者だった子持ちの女に避けられたよそ者は、宿屋に入る。ちょうどその頃、町をメキシコ正規軍が隊列を組んで通りかかるところだった。そこへ、今までどこにいたのか目空き頭巾の集団の葬列が現れる。実は彼らはアギラという賞金首が率いる山賊団で、奇襲を仕掛け正規軍から武器と機関銃を奪う。軍服を奪ったアギラは、部下に「俺はどんな男だ?」と尋ね「フェアな男だ、ボス」と言わせると、奪った機関銃で投降した正規軍兵を一掃してしまう。
作戦を成功させ上機嫌なアギラの前に、合衆国の軍服に身を包んだよそ者が登場。正規軍姿のアギラを賞金首だと見破り、「間もなくここに合衆国の騎兵隊がメキシコ軍に貸す金貨を持ってやってくる。俺に任せてくれれば、うまく話をつけてやる」と持ちかけるのだが……というのが序盤の流れ。

「俺はフェアな男」と言い張りながら捕虜を皆殺しにし、
赤ん坊を人質に取るアギラ(右)。清々しいクズっぷり。

感想

本作は冒頭からエレキギターメインのテーマソングで始まるだけあって、内容も実にマカロニらしいマカロニ作品。山賊たちと協力したよそ者はまんまと騎兵隊から金貨袋を手に入れるのだが、悪党のアギラはよそ者にまともな取り分を渡すつもりなどなかった。そこからよそ者とアギラ一味による金貨の奪い合いになるのだが、これが物語のけっこう序盤で、その後はずっとこれに終始する。
途中の感想は「畑から掘り出した野菜をそのまま出してきたような」マカロニ・ウエスタンといった感じ。他のマカロニ作品がいかに娯楽性を追求しているかがよくわかる。というか、前述のセリフの少なさや追跡劇がずっと続くために緊張感のメリハリがあまりなく、正直なところ途中の展開が冗長なのは否めない。主人公側にも敵側にも金以外の目的や野望といったものがほぼなく、物語上必要なやり取り以外は何が起こっているのかを口頭ではなく画でじっくり見せる手法をとっている。実際アギラは元々正規軍になりすまして騎兵隊を襲う算段だったと思われるが、そういったことも名言はされない。

また、悪党のアギラに儲け話を持ちかける主人公(よそ者)のキャラクターは、明らかにイーストウッドが演じたマカロニ・ヒーロー「名無し」を意識していると見られるものの、ヴィジュアルや振る舞いにかなり今ひとつ感が漂っており残念。最初あれだけきれいに北軍を出し抜いたにも関わらず、その後の行動はほとんどノープランというか後手後手な印象。金貨袋の奪い合いはアギラ側の優勢な状態が大半なのだが、アギラも別段頭が切れる人物のようにも見えないため、相対的に主人公の切れ者感は下がってしまう。
しかし終盤になるとそれまでの退屈さは一転、主人公とアギラ一味のケレン味ある戦いが楽しめる。なにせ主人公は水平二連式ショットガン、アギラの武器は正規軍から奪った機関銃で戦うのだ。まずショットガンを得物にする主人公はなかなか拝めない。そして、機関銃で動くものすべてを撃ちまくる相手に、近距離でしか威力の出ないショットガン持ちのよそ者はどう近づくのか……という非常に見所のある戦いを繰り広げてくれる。アギラが事あるごとに口にした「フェアな男」というセリフの回収や、アギラがよそ者に投げ渡した一枚の金貨、序盤に登場した騎兵隊など、それまでの要素がすべてつながって物語はきれいに終わる。

西部劇の中でも珍しい、ショットガンメインで戦う主人公。
近距離でぶっ放すまでの戦術にもバリエーションがあり、敵の吹っ飛び方も楽しい。

まとめ

というわけで、最後で大盛りあがりするマカロニ・ウエスタン。シーンの端々から潤沢でない予算の中でやりくりしたんだろうなあというのが伝わってくるのだが、それだけに最後の戦いの出来が光る。かけるべきところにお金をかけたといえるだろう。終盤までの盛り上がらなさに目をつぶれば、一応マカロニ作品としての満足度はそれなりな作品。

画像:© 1968 Primex Italiana, Taka Production Inc.

Amazon Prime Video
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0849JRN1V/