映画感想「怒りの用心棒」

1969年公開のマカロニ・ウエスタン。ジュリアーノ・ジェンマ主演、トニーノ・ヴァレリ監督作品。
トニーノ・ヴァレリとジュリアーノ・ジェンマというと、個人的にかなり好きな作品「怒りの荒野」が思い浮かぶ。「怒りの荒野」の主人公スコットは、「マカロニの貴公子」と呼ばれ甘いマスクで人気のジェンマがやる役にしてはなかなか理不尽な境遇の役だったのだが、悲惨な立場で周囲から蔑まれ身なりも泥塗れだからこそ、より彼の憂いのある顔立ちが主役然として際立っていたようにも思う。
そんなヴァレリ監督の作品である今作で、またもジェンマは華やかさのない泥塗れのヒーローとして活躍することになる。

物語は南北戦争後のテキサス州ダラス。保安官事務所にて、黒人青年のジャックが椅子にしばりつけられ尋問を受けている。保安官ジェファーソンはビル・ウィラーという男を探しており、ジャックは彼と南北戦争時代の戦友だった。このビルというのがジェンマ演じる主役である。ビルとジャックは、テキサス出身でありながら自由と平等のために北軍側について戦っており、南部の人間からすれば裏切り者も同然だった。
そのとき保安官事務所にやってきたのはビルの父ウィラー。彼は、テキサス遊説に訪れるガーフィールド大統領を暗殺しようと企んでいるやつがいるぞと警告する。「よく教えてくれた、礼を言う」とジェファーソンは彼を労うが、実はこのジェファーソンこそが暗殺を任された張本人だった。こうして父ウィラーはジェファーソンが差し向けた刺客の手にかかってしまう。この後ようやく、保安官事務所を脱出したジャックに連れられて主役のビル・ウィラー(ジェンマ)が家に戻り、父の死に直面する。

暗殺計画は、大統領の乗った汽車が橋を通りかかったとき、その橋ごと爆破するというものらしい。
父の死に大統領暗殺が絡んでいるとジャックから聞かされたビルは橋へと急ぎ、暗殺者たちの目論見を阻止する。その現場にちょうど汽車が通りかかり、彼は大統領と対面する。「あんたの命を救ってやったぞ」と上から言うビル。「無礼な!」と側近がすごむが、実はビルは戦時中に軍法会議にかけられ4年の実刑判決を言い渡されており、それを下したのがほかでもない大統領だったというわけである。少し複雑な事情があるかのように匂わせつつ、ビルは「でももう恨んでないよ」と言い残し大統領とはその場で分かれる。

大統領に「見た顔だが、思い出せないな……」といわれ、ニヤリと笑うビル。
砂埃まみれの汚れた顔に白い歯が光る。

こうして無事危機を免れ、ダラスへ到着したガーフィールド大統領。しかし、駅で彼を歓迎した州知事や名士たちのほとんどが、実はまさに彼を亡き者にしようと目論む張本人たちなのだった。そして、さらなる計画が、動き出そうとしていた……と、序盤はこんな感じである。

この導入はかなり異質であるように思う。主役がすぐに出てこないし、前の文脈がないままの状態で話だけが進んでいる印象が強く、まるで物語の途中から見ているような気にさえなってくる。逆をいうと冒頭から緊迫した状況で話が走り出しており、展開として面白くもある。
そして「テキサス」「ダラス」「大統領暗殺」と、ちょいちょい出てきた単語でピンと来た方がおられるかもしれないが、この物語は映画が公開される6年ほど前に起きた、ケネディ大統領暗殺事件から着想を得て作られている。さらに作品に登場するガーフィールド大統領というのも、場所と時代こそ違うが実際に暗殺に巻き込まれた人物。本作はそれら実在の事件をミックスし、そこにさらに南軍残党の陰謀を混ぜ込んで一つの事件に仕立てあげているのだ。それはもちろんフィクションであり完全な作り話だが、動機などがしっかりしているためかなかなかドラマチックなものとなっている。

本作はいわゆるヒーロー的ガンマンの活躍話とは違い、フィクションの事件を軸としながら様々な人物の陰謀や奔走を描く、群像劇仕立ての要素が強い。なので、他作品より主役の出てくる時間が少なく、それゆえにそれ以外の脇役や悪役たちの印象が強い。それはコミカル系マカロニ作品にありがちな出落ち的奇抜さというよりは、それぞれの目論見や立場などで描き分けてられている。ゆえに絵面としては地味だが、事件の現実感と相まってリアルに感じられる。ジェンマの役どころも常に土壇場に立たされ、追い立てられているといった具合。
もちろん、トリッキーな要素がゼロかというとそんなことはなく、ビルが敵に仕掛ける葉巻を使った「ゲーム」や、足が不自由な友人ニックが土壇場で繰り出す隠し武器、最後のアクロバティックな必殺撃ちなど、マカロニらしい外連味のある演出やアクションも存在する。敵側の人間は本当に血も涙もなく悪い奴らで、彼らの陰謀や罠に容赦なく倒れる人物も出てくる。
中でもこの作品ならではと思ったのは、大統領の側近アーサー・マクドナルド。薄汚れた姿の南部ガンマンや髭面の田舎名士たちとは違い、彼はブラウンのスーツに髭も剃り落としており、言動も都会的でスタイリッシュ。薄汚れた格好のビルとは対象的なキャラクターになっている。
信念に燃えるアーサーはビルとはまた違った目的で動き、彼と幾度となく衝突することになる。殴り合いのシーンで一瞬見せる構えなどは野卑なステゴロというより「拳闘」という感じでキマっているし、洗練されたコートの裾がふわっとはためく姿は、ガンマンのポンチョやコートとはまた違ったかっこよさがあるのだ。

敵か味方か、アーサー・マクドナルド。常に仏頂面で表情の読めないのがまたいい。

「怒りの荒野」もだが、本作も主人公らと悪役たちの戦いの結果、勝者以外何も残らない無情さがある。どちらが正しかろうが、とばっちりを食うのは周りの人間だという皮肉がこもっているように思うのだ。正義漢ビルは復讐と、他者を救うために戦いに身を投じるが、そんな彼に訪れる結末は決して幸せとはいいきれない。かといって戦うことをやめても、悪の思うつぼである。何も得るものがなくなっても、最後まで戦わなくてはならないという悲壮さとズタボロ感、これが魅力のように思う。
個人の話にとどまらず政治を絡ませた物語に、悪役の容赦のなさや荒涼とした空気感など、初期マカロニの空気が漂うダークさとバイオレンスが詰まった作品。ルイス・バカロフのテーマソングも哀愁があって染みる。

画像:© 1969 Movie Time S.R.L -ROME- Itary