映画感想「豹/ジャガー」

1968年のマカロニ・ウエスタン。主演フランコ・ネロ、監督セルジオ・コルブッチということで、傑作マカロニ「続・荒野の用心棒」コンビが再びタッグを組んだ作品となる。音楽は巨匠エンニオ・モリコーネ。

20世紀初頭、革命真っ只中のメキシコ。とある小さな闘牛場の中で、余興としてピエロの見世物が行われている。それを観客席から見つめる一人のガンマン、セルゲイ・コワルスキー(フランコ・ネロ)、そしてその姿に気づきギョッとするピエロ。そこで物語は半年前に遡る。
ピエロの正体は、鉱夫として働く若者パコ・ローマン。彼はガルシア兄弟という雇用主にコキ使われる悲惨な毎日を過ごしていた。一方、コワルスキーはガルシア兄弟から銀の移送護衛の仕事を持ちかけられる。コワルスキーは仕事を引き受け武器を仕入れた後、兄弟が所有する銀山へ向かうのだが、そこはパコと鉱夫たちが占拠した後だった。銀山を爆薬で塞いだ鉱夫がガルシアに処刑され、鉱夫たちによる反乱が起こったらしい。銀がないなら仕事にならんとコワルスキーは帰ろうとするが、そこにガルシア兄弟の兄アルフォンソが政府軍を連れて登場、反乱鎮圧のために大攻撃を仕掛ける。パコたちはとりあえず応戦し、巻き込まれたコワルスキーにも手を貸せと叫ぶが、彼は「俺は現金で仕事をするプロだ」と断固拒否。大砲の弾が飛んでくる中、仕方なくパコが手持ちの金を払うと彼はニヤッと笑い、マシンガンを組み立てあっという間に政府軍を返り討ちにしてしまう。これが二人の出会いであり、パコの「革命」の始まりでもあった。

ライトグレーのコートでキメる傭兵コワルスキーと、汚れた格好のパコ。
革命軍をうたっていても所詮鉱夫の寄せ集めであり、戦いの知恵はコワルスキーに頼るしかない。

製品のあらすじなどではコワルスキーは「ジャガー」という異名があると書かれているが、劇中でそう呼ばれることは一度もなかった気がする(原題も「Il mercenario」で「傭兵」の意。ちなみに豹とジャガーは別の生き物)。劇中のほとんどで彼はポラック(ポーランド系の人に対するあだ名。差別用語として取られる)と呼ばれている。
このような物語の場合、凄腕の主人公コワルスキーがヒーローとして描かれるのが定石のように思えるが、作品を観てみると趣は異なる。もちろんコワルスキーはニヒルでクール、金でしか動かない凄腕というわかりやすいマカロニ・ヒーローなのだが、彼の「雇い主」となる鉱夫のパコ、そしてコワルスキーのライバル的存在の殺し屋カーリーも思いのほか強烈で、キャラの立った人物としてしっかり描かれている。

トニー・ムサンテが演じるパコ・ローマンは、鉱山で生まれ鉱山で育ったという外の世界を知らない男。威勢のいい若者で陰気な様子を見せず、仲間からの人望もある。政府軍を追い払ったことで自分たちの勝利を「これぞ革命だ」として興奮するが、コワルスキーに「お前の革命って何?」と問われても「ボスを殺して金を奪う」と身も蓋もない返事。あらすじなどでは彼を「革命軍」と表記しているが、ここでは革命というものが何なのか本当にわかっていないように受け取れる。そんな、粗野だが純粋という魅力のあるキャラクターがパコなのだ。実のところ本作はパコの物語であり、コワルスキーとの関係性の変化など、非常に見応えがあって面白い。
そして、もうひとりのメインとなるのが敵役として登場する殺し屋カーリーである。本職はカジノの支配人らしく、黒いスーツに身を包み慇懃な態度を崩さない。店側のイカサマが横行するカジノで、支配人の彼はまるで王様か何かのように好き勝手に振る舞っている。なんでそんなところに客が入るのかわからないが、ワルの開く店には同類が集まっており、ある種ワルの社交場のようになっているのかもしれない。コワルスキーはここでディーラーのイカサマを見抜き、それが理由でカーリーから目をつけられる。

「Qが2枚と、後ろの美女2人でフォーカードだ」という悪い冗談をそのまま(銃で)押し通すカーリー。
こういうユーモアの利いたムチャクチャな悪役大好き。

カーリーはヘマをした部下に「結婚してるか?」「子供はいるか?」など妻子の有無を確認してから引導を渡したり、死体やマリア像の前などでやたら十字を切ったりと、マカロニらしくキャラの濃い悪役。この3人が一同に介して行われる決闘の図式はセルジオ・レオーネの「夕陽のガンマン」を彷彿とさせるのだが、敗者の絶命に一細工あるなど、本家に負けない遊び心で楽しませてくれる。
楽しませついでにいうと、悪役のひとりアルフォンソ・ガルシアは「続・荒野の用心棒」の悪役ジャクソン大佐と同じ人が演じており、コワルスキーが彼の指揮する政府軍を一網打尽にするシーンはある種のセルフ・パロディになっている。

本作の見所のひとつは、色々な武器が登場するところ。西部劇では大体コルトSAAなどのリボルバーが定番のように思うが、コワルスキーが持っているのは自動拳銃。蔵臼金助氏著「マカロニ・ウエスタン銃器熱中講座」によると、アストラM400というスペイン製の拳銃らしい。実際、コワルスキーはプロの傭兵なので当時の最新装備を持っているのも理にかなっているだろう(とはいえ話の時代と武器の流通年を考えると少しオーバーテクノロジーな気もするが)。序盤に登場する「ホーキンスの最新型」もホチキスmle1900という実在のもので、他にもデリンジャーや中折れ式のリボルバー、さらにネロ&コルブッチならではの「アレ」と、多種多彩な武器が登場。実在しないでたらめ珍妙武器もマカロニらしいのだが、やはりちゃんと実在した武器が出てくると嬉しいものがある。

そして上でも書いたが、本作の主人公はコワルスキーではあるものの、物語の筋はコワルスキーの目から見たパコを主軸に描かれている。しっかりとしたバックボーンを持ち、語の中で目まぐるしく変化、成長していくパコの姿は、過去が一切語られず一貫した拝金主義のコワルスキーとは対照的で、人間味に溢れている。最初、パコにとってコワルスキーは政府軍との戦い方や指導者としてのあり方を教えてくれる先生であり、師弟とまではいかないものの立場関係は対等ではなかった。しかし物語が進むにつれその関係は変化し、最終的に海千山千の男コワルスキーにとってもパコは単なる金づるからそれ以上の存在へと変わっていく。この流れがダークさの残るマカロニらしからぬ、清々しい人間ドラマになっているのだ。特に終盤の、パコがコワルスキーに向かって言い放つセリフ、その後にコワルスキーがパコにかける言葉が最高にかっこいい。

というわけで、ネロのカッコよさ、コルブッチのサービス精神が感じられる痛快な作品。初期マカロニから陰惨な部分を抜いたような、ハードでドラマチックな面と派手さや陽気さが絶妙なバランスで同居しており、鬱々とすることなく楽しめる。おすすめです。

画像:© 1968 Alberto Grimaldi Production.