映画感想「アド・アストラ」

2019年、アメリカ制作の宇宙SF映画。ブラッド・ピット主演。監督はジェームズ・グレイ。
ブラッド・ピットといえば日本では「ブラピ」の愛称でお馴染みのあんちゃん(といってももう60近いおっさん)で、2000年以降は「プランBエンターテインメント」という映画製作会社を立ち上げ、映画プロデューサーとしても活躍している。ちなみに本作はブラピ初の宇宙もの、とのことらしい。また、ブラピ演じる主人公の父親役でトミー・リー・ジョーンズも出演。こちらもサントリーの缶コーヒーBOSSのCM「宇宙人ジョーンズ」シリーズでお馴染みである。

本作は近未来が舞台で、人類がすでに月や火星へ宇宙進出を果たしているという設定になっている。物語はブラピが演じる主人公の軍少佐であるロイ・マクブライトが自身の精神状態チェックを行い、宇宙服を着込んで外に出るうところから始まる。眼窩の遙か先に広がるのは広大な大地。そこは成層圏まで伸びる軌道エレベーターのような施設だった。「ここは気が楽だ」なんて考えながらロイがその「超」高所で作業をしようとしたところ、突如宇宙空間から電気を伴った衝撃波のようなものに巻き込まれる。

冒頭の軌道エレベーターの修理シーン。
この後、高いところが苦手な人は要注意な展開が待っている。

施設はコントロールを失い崩壊。ロイはいちかばちかとも取れる行為で、どうにかその窮地を切り抜けた。後日、軍のおえらいさんのところに呼び出されたロイは、あの衝撃波が「サージ」と呼ばれる電気嵐で海王星付近から放たれていること、そして自身の父親であり軍の英雄クリフォード・マクブライトが生きており、このサージに関わっているという事実を聞かされる。
クリフォードはリマ計画という太陽系外の有人探査の指揮官として太陽系の縁である海王星近辺まで向かったが、ある時期から連絡が取れず行方不明になっていた。父親は死んだものと思っていたロイは驚き、その上サージにも関係していると知って戸惑う。サージが放出されるたびに、地球だけでなく月や火星も含めた全世界の電子機器に影響を及ぼす。ロイは軍の命令で深宇宙にいる父親にメッセージを送るため、連絡基地のある火星に向かうのだが……という話。

プロデューサーでもあるブラッド・ピットは、本作の制作にあたりフランシス・フォード・コッポラの名作「地獄の黙示録」を意識していたことを明言している。「地獄の黙示録」はベトナム戦争時代を舞台にした映画で、内容の難解さや制作現場の壮絶さなど、色々な意味で映画史に残る作品。主人公の軍人ウィラードが、軍を裏切ったカーツ大佐という元グリーンベレーの英雄を暗殺しにカンボジア奥地のジャングルへ行くという内容なのだが、なるほどあらすじは確かに共通する点がある。ただ、本作は「地獄の黙示録」の見世物ショー的な部分はかなり取り払われ、より人物の心理的な部分にフォーカスしている印象。内容的にも重くなく、何より時間も短い。

観た感想をまず述べると、派手さはないがまとまった作品だと感じた。物語の核になるのは主人公や父親の心理面だが、個人的に注目したのは近未来の描写で、地に足がついているというか良い意味で「近未来」感がないのだ。冒頭の軌道エレベータのシーンはともかく、ひと目で未来とわかるシーンやガジェットは、実際かなり少なかったように思う。
ロイたちは極秘任務のため民間の宇宙航空会社を使って月へ向かう。そのロケットは現代とそう変わらない切り離し式で、やはり未来感はない。しかし、ロケット搭乗中にロイがブランケットを客室乗務員に求めた際に、追加サービスだからと125ドルを要求され支払うシーンがあり、まるで格安航空会社を彷彿とさせる。ということであれば、ロケットもおそらく安い旧式のものを使っているのではないだろうか(もちろんそんな明言はない)。
前述の部分は勝手な推測だが、月の宇宙基地の外観もコンビナートのようであり、その内部も現代の空港や駅などと景色は変わらず、未来感よりも既視感の方が強い。この辺りは「ほぼ現代テクノロジーのまま人類を宇宙進出させたら?」もしくは「今ある日常を宇宙にまで広げたら?」という思考実験のような面白さがあり、設定の妙を感じさせる。もちろん空想的なガジェットや演出表現がまったくないわけではないが、多くは現実の科学技術からの延長線上にあるもので構成されており、そうした良くも悪くも地に足ついた方向性にしたのは、突飛な要素を排除することで世界に違和感を持たせず、登場人物の内面にスポットを当てたいからかもしれない。
ちなみにこの後は月宇宙港から火星行きの宇宙船がある別の基地に移動するのだが、その際に月面の紛争地帯を抜けなければならず、護衛役の人物が「まるで西部劇ですよ」と冗談を言ってたら本当に西部劇みたいなことが起こるという、個人的に大好物な展開が待っている。音のない広大な月の荒野をバギーでひた走る画は確かに西部劇を思わせなくもないが、空には漆黒の宇宙、そしていかにもなシンセBGMで、シーンとしては全然違う味付けになっていて面白い。

もう一つ述べておきたいことは、主人公ロイ・マクブライトが非常に寡黙で内向的な性格だという点だろう。ブラピってあまりこういう抑えめな役はやらないイメージだったのだが、屈強そうでありながら繊細な感じがあって、なかなか違和感はなかった。
映画の冒頭で、主人公は宇宙服を着込んだ彼は皆から声をかけられても最低限の愛想で応え、相手によっては「僕に触るな」と内心で毒づく。彼は軍人、宇宙飛行士として成績優秀で、今回も奇跡的な生還を遂げている。しかし仕事に打ち込むあまり奥さんとは別居状態な上、やや死にたがりというか死への恐怖心がない面があるという、心に問題を抱えていることがわかる。

アクションより仕草と表情で見せる、けっこう珍しい(?)ブラピ。
格闘倶楽部を開いたりゾンビと戦ったり戦車で暴れたり、観てきたもので印象は違うかも。

そんなメンタルがあれな人間が宇宙飛行士なんてやれるのかと思われるかもしれないが、これについても誰でも宇宙に行けるようになったからであって、現代のようにあらゆる問題に対処できるエキスパートのみを選出できなくなった(人手不足でそんな時間も予算もない)と考えれば理にかなう。ロイのこの心理状態は映画の世界観とリンクしており、人類が未熟で内的問題を克服しないまま他の星に入植してしまったことと重ねることもできる。
命令に従って火星へと向かうロイだが、気持ちの上では父親に対する心の整理がまったくついていない。家族を捨て深宇宙へ旅立った、憧れでもあり憎むべき存在でもある父親と向き合うということは、自身の生き辛さの正体と向き合うことだからである。地球を離れ宇宙の闇を突き進む姿は、まさに自身の心の奥へ旅でもあり、そういう映画なのだと思う。
多少結末に触れるが、父クリフォードが家族も何もかも捨てて固執した目的が「知的生命体」を探すことというのは結構重要で、その点においてロイは父親と同じ道を歩みつつも最後の最後に己の父が成し得なかったことを成し遂げた。差し伸べられた手を見て自然に微笑むのがそういう意味なのだとしたら、非常に良い終わり方な作品だと思う。

というわけで、宇宙SFアクションというよりは心象世界を旅するような、内省的な物語。なので、たとえばクリストファー・ノーランの「インターステラー」のような、宇宙SFらしいイマジネーションや視覚的インパクトが強い内容を期待すると満足できないかも。現代テクノロジーから地続きになった近未来の世界や宇宙の描写は個人的に渋くてけっこう好み。全体的に饒舌な部分の少ない映画なので、深読みや考察したい人にはおすすめです。

画像:© 2019 20th Century Fox Film Corporation, Monarchy Enterprises S.A.R.L., TSG Entertainment Finance LLC

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