ゲーム感想「The Last of Us Part II」

2020年6月19日発売。Play Station4用ソフト。Naughty Dog開発。
2013年発売のPS3ソフト「The Last of Us」の続編。1ヶ月ほど前にPS4版のリマスター「The Last of Us Remastered」をクリアしているので、わりと操作やストーリーを憶えている状態で遊んだ。

「The Last of Us」シリーズは、原因不明のウィルスにより社会システムが崩壊した世界で、どうにか生き延びようとする人々と、そのために殺人や暴力に手を染めていく葛藤がテーマのサバイバルTPS(サード・パーソン・シューター)。少ない弾薬や武器と、ゴミのような素材を組み合わせて爆弾や火炎瓶を即席で作って戦うという、舞台設定に即したゲーム性が特徴。
キノコの化け物のような「感染者」との戦闘ももちろんあるが、生きるため、また主義主張のために銃と暴力によって他者を攻撃し、食糧や物資を奪う同じ人間同士での戦いが主題として据えられている。

まず個人的には、前作で感じた「この地形やオブジェクト配置で敵が出てくる!」というゲーム的都合のわざとらしさがほとんど目立たず、遮蔽物の配置などが背景となじんでいる印象を受けた。ストーリーにパワーがあるのにああいうゲームゲームした部分は損だなと思っていたので、これはすごく安心。
銃火器装備は一人で持つ種類が前作より減っているものの、用途ごとにきっちり整理され、強化と管理が楽になった(取りこぼしている可能性もあるが)。戦術の幅は狭まっておらず、バリエーションが少ないとは感じなかった。ちなみに前作では主に中年男のジョエルを操作したが、今作では成長した少女エリーを主に操作することになり、さらに操作キャラクターによって所持している武器や作れるものが一部異なる。
特に今作から登場した、セミオートピストルに装着するサイレンサー(容器と布を組み合わせて作る)は、銃声を抑えられるので発砲しても敵に見つかることが少なく、大変お世話になった。
キャラクターの強化は要素がシャッフルされており、前作のように同じ能力だけ集中して強化することができなくなっている。また最初は項目が少なく、道中で手に入るサバイバルガイド等の書籍を見つけることでそれにちなんだスキルツリーが開放されていく形式に。
新アクションではさらに「伏せ」という動作が追加されている。しゃがみよりもさらに姿勢が低くなり、天井の狭い箇所を移動したり、草むらなどで敵に見つかりにくくなる。しかし移動はしゃがみ以上に遅く、さらに草むらなどでは草で視界が隠れるので射撃の難易度も上がっている。このバランスはとてもいいと思った。

今回、「感染者」の他に主な敵となるのは、統率の取れた民兵組織WLF(ワシントン解放戦線/通称ウルフ)と、新興の宗教教団セラファイト(WLFからはスカーと呼ばれている)。
WLFは訓練した犬を連れており、こっちのにおいを辿って隠れている場所を見つけ出すので非常に厄介。こいつがまたどれもかわいいのだ(名前もついている)。自分は犬は殺さずやり過ごす「綱吉プレイ」をしていたのだけど、犬の方は容赦なく噛み付いてくるので滅茶苦茶難しかった。
ゲリラ戦を得意とするセラファイトも、口笛でお互いに合図を取りながら取り囲んでくる。姿が見えないのに口笛の音だけ聴こえてくる様子は異様な緊張感があり、気がつくと弓が刺さっているという……。近接武器を持ったマッシブなやつもいる。

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密林での戦闘シーン。どちらの勢力も別ベクトルで手強く、倒すのに手こずる。

WLFとセラファイトは互いに憎み合っており、劇中では両者が戦闘しているシーンに出くわすこともある。そしてもちろん、プレイヤーと彼らが戦っている最中に、人類すべてにとっての敵である感染者が出てくるシチュエーションもある。音に敏感な感染者の習性を利用して、瓶などをWLFやセラファイトの近くに投げ込んでおびき出すといった戦法もできる。
また、前作には登場しなかった新種の感染者も登場する。感染者との戦いがメインのゲームではないものの、一部クリーチャーホラー的な雰囲気が全面に押し出されたシーンもあり、個人的にそこはかなり満足できた。

全体的に、前作からの遊び方をほとんど削らず、さらに遊びを追加したり幅を広げたりしている印象。まさに正当進化といった感じ。無駄だなと思う仕様がまったくなかったように思う。
ストーリー中の会話イベントなどで、キャラクターが自由に動けるシーンも健在。「プレイヤー自身が動かしてそれをやらせる」ことで物語の中に引き込ませる。コストは計り知れないが、これはやはり没入感がある。特に前作でこの方式を使っていたことで、今作のストーリーがよりプレイヤーにのしかかってくるのだ。

今回「Part II」とある通り、物語は完全に前作からの続きで4年後になる。ジョエルもエリーも、前作でも訪れたジャクソンというダム周辺に築かれた町で暮らしている。
冒頭でのジャクソンの町のシーンは、荒廃しきった世界でありながら活気に満ちている。感染者を避けるために築かれた防壁の中では子どもたちが元気に走り回り、家畜が飼育され、ダムの水力発電を利用して人々は厳しいながらも豊かに生きている。
そんな状況から始まった序盤、エリーはある事件を境にパッケージのような険しい表情でジャクソンを後にする。この動機づけは、プレイヤーも俄然やる気にならざるを得ないすごいものだった。

今作のストーリーについて何か言うなら、愛のため、守るため、生きるために暴力を行使してきた結果、ジョエルもエリーも(他の人物も)その「報い」を受ける――ということと、その語り口の素晴らしさだと思う。
前作の物語がシンプルにジョエルとエリーを追いかけていくものだったのに対して、今作は別のアプローチが取られる。その方法は早い段階でしっかりと宣言されているが、別の意図があったのかと思っていたため予測できなかった。なのでこの方法に自分は思わず「そう来たか」と思ってしまったんだけど、そのストーリーテリングによってプレイヤーはジョエルやエリーの言動に対して内省的になることを半ば強制される。あれだけ感情移入させたキャラクターに対する印象を、激しく揺さぶられるのだ。これは前作より直接的で容赦がない。
ちょっと見方が変わっただけで、どんな死に様を見せるのか期待していたキャラクターに対して、死なないでくれと思うようになったり、その逆も起こる。この視野の広げ方はキャラクターに深みを与えるが、そのキャラクターが好きな受け手や、キャラクターに対してよく思って欲しい作り手からすると、見たくない部分を見させられるという、もの凄く痛みを伴う方法だろう。
しかし、視野が広がることで気付かされる、ある種の不都合な真実こそがこのゲームのテーマであることを考えると、そこに真っ直ぐ立ち向かったNaughty Dogはすごいと思う。正直、万人受けするものが求められる「大作」ゲームで、こんなに作家性の強い、尖ったことをやってくれるのかと驚いた。
それくらい今作はプレイヤーを突き放す展開で、特にエリーのパートは本当に陰鬱でしんどい。時折手に入る、スーパーヒーローカード(コレクト要素)の説明文が細やかな癒やしだった。だからこそ、前作「The last of Us」が、片側に大きく揺れた時計の振り子をそこで無理矢理止めたままのような、歪な終わり方だったようにも今は感じられる。あのもやもやのその後を描ききった今作は、振り子の強烈な揺り戻しに相応しい物語だった。特にエリーが手にしたもの、失ったものを並べてみても、明らかに前作より晴れやかな終わり方である。

表現したい部分(物語)の鋭さは失わず、それ以外の部分(見た目やゲーム性)を極限まで丸く磨き上げてストレスを減らす――それを高水準でやっているのがNaughty Dogの凄いところだと思う。とにかく、すべてにおいて妥協がなかった。
そしてそれ以上に、ゲームとして面白いのにも関わらず、作品全体として「ゲーム的な都合」からの脱却に向かっている感じがして、それはゲームとして物凄い進化なんじゃないだろうかと感じた。

画像の出典:https://www.playstation.com/ja-jp/games/the-last-of-us-part-ii-ps4/

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